
海辺の社交界の中心
ニースが冬期の静かな保養先からコート・ダジュール’のきらびやかな社交と文化の中心地へと変貌したのは、一軒のホテルがきっかけでした。先見の明を持つ投資家が、一世紀以上続く洒落たリゾート地の礎をどのように築いたかをご覧ください。
新しい休暇先

冬のニース?
1800年代中期、–フランス、ロシアやイギリス–の貴族は毎年フランスのリビエラ地方に集まりました。それは海辺を楽しむためでなく、冬期の豪華なパーティと静養のため、そして大都会の喧騒から逃れるためでした。しかし、状況は変わろうとしていました……

未来へのビジョン
1840年、ニースとフランス各地、さらには国外を結ぶ鉄道が建設されるというニュースを聞いた地元の実業家ドミニク・レロー氏は、この海辺の町に夏の楽園としての可能性を見出しました。経験豊富な投資家である彼は海岸に隣接した土地を購入し、建築家ジャン=アントワーヌ・スコフィエにネオクラシカル様式で大規模なホテルを建築するよう依頼しました。その仕様ははっきりと定められていました。ホテルは要求の多い貴族が享受すべきあらゆるサービスを提供する必要がありました。
名門ホテルの誕生

ホテル・ド・フランス
1848年に完成した建物は、「ホテル・ド・フランス」としてオープン。3階建てのこのホテルは、リゾート地としてのニースの新時代を象徴し、街’の社交界の中心地となりました。現在はアナンタラ・プラザ・ニースと知られるこのホテルは、それ以来ニースの社交界の中心として、数々の華やかな物語の舞台になっています。たとえば、かつてこのホテル’の支配人の一人がイタリアの王子と結婚したことや、ポアンカレé元大統領がここを別荘àとしてしていたことをご存じですか?

ホテル・プラザ
1900年、この建物は「ホテル・プラザ」として再オープンし、‘「ヨーロッパのサロン」’と称された隣接するプロムナード・デ・ザングレと共に、社交、文化、知的活動の中心地としての役割を担い続けました。

ホテル・プラザ・エ・ド・フランス
1913年の売却後に、フランスの有名建築家シャルル・ダルマスが、ホテルの拡張および改装工事を手がけました。そして1918年、建物は現存するベル・エポックÉ様式のファサードçを持つ「ホテル・プラザ・エ・ド・フランス」として生まれ変わりました。

確固たる基盤と急激な拡大
1960年、建築家のルネé・リヴィエリがホテルの改装と2フロアの増築を行いました。1970年から2000年の世紀の変わり目に売却されるまで、ホテルは–アルプ=マリティーム商工会議所の元会長で、市議会議員も務め、ニース市長の第一副市長そしてOGCニースの会長でもあるジルベール・ステラルド氏が所有していました。
21世紀の発展

ボスコロ時代
2000年、イタリアの家族経営ブランドであるボスコロ・グループがホテルを引き継ぎ、2010年に6階を増築。「B4プラザ・ニース」と名づけられたホテルは、その後「ボスコロ・ホテル」と改称されました。2017年、ボスコロ家は同グループのホテルをアメリカの投資会社、ヴェルデä・パートナーズに売却し、ホテルは「ザ・デディカ・アンソロジー」グループに再編されました。

受け継がれる歴史
2019年、コヴィヴィオ・ホテルズが、プラザを含む合計9軒のホテルを取得。そして2020年、NHホテルグループがコヴィヴィオと契約を締結し、ローマ、フィレンツェ、ベネチア、プラハ、ブダペスト、そしてニースを含む抜群の立地にある8軒の高級ホテルを運営することになりました。

アナンタラへの編入
2022年12月、ホテルは「アナンタラ・プラザ・ニース・ホテルô」に生まれ変わりました。1階全体、エントランス、ロビーラウンジ、そして屋上レストランは、デヴィッド・コリンズ・スタジオによってエレガントに改装され、ニースの名門ホテルとして’の評判はさらに確固たるものになりました。

伝統を受け継ぐ
175年以上前にオープンした一軒のホテルが、海辺の街に大きな変化をもたらしました。そしてニースの発展とともに、現在「アナンタラ・プラザ・ニース・ホテルô」と呼ばれる同ホテルは、–社交の場として、さまざまな逸話の舞台として、そしてニース・ジャズ・フェスティバルのような文化的イベントのパートナーとして、街の中心的存在であり続けました。その輝かしい歴史を受け継ぐ新しい担い手として、アナンタラは同ホテル’の格式ある伝統を守り続けることを誇らしく思っています。